今日は何の日6月10日「薄桜忌」に偲ぶ宇野千代と日本三大桜ウスズミサクラ

何の日?

1996年(平成8年)6月10日は作家の宇野千代さんが98歳の天寿を全うされた日です。

今日は何の日6月10日「薄桜忌(はくおうき)」とは

生前、岐阜県本巣市にある根尾の薄墨桜(淡墨桜)をこよなく愛しその保護を訴え活動をしていた宇野千代さんを偲ぶ日として天寿を全うされた6月10日を「薄桜忌」としてお墓参りや法要をしたり、ご実家のある山口県岩国市では偲ぶ会が催されたりします。

1975年に刊行された小説「薄墨の桜」では朽ち果てる寸前だったこの桜の再生にかける人々の情熱や苦労などを織り込みつつ薄墨桜を巡る女性たちの複雑な運命が描かれています。

日本三大桜「薄墨桜」

山梨県の「山高神代桜」、福島県「三春の滝桜」と並んでこの岐阜県根尾谷の「淡墨桜」も日本三大桜のひとつに数えられていて国の天然記念物にも指定されています。

その樹齢は1500年以上といわれ圧倒される存在感とはかなげな色合いの美しさで魅了しています。

継体天皇のお手植えの桜とも伝えられています。
咲き始めが淡いピンク色がとても可愛らしい色合いですが満開になると白っぽさを増していき、散り際には淡い墨の色に変化していく様子が何ともはかなげで美しく見えます。

今にも果ててしまいそうだった桜でしたが宇野千絵さんの活動により見事に蘇って今では多くの人々が訪れる観光名所となりました。
淡墨公園へのアクセス
住  所: 〒501-1524 岐阜県本巣市根尾板所上段995
電話番号:  058-323-0880

宇野千代さん経歴

1897年(明治30年)11月28日山口県岩国市で代々酒造業を営む旧家の長女として生まれる

1899年(明治32年)実母トモが肺結核で没後、父はすぐに若い女性と再婚する。
この継母・リュウさんがあの「おはん」のモデルといわれています。

1914年(大正3年)岩国高等女学校卒業後、小学校の代用教員になり同僚の教師と“熱病のような恋”に落ちるがとがめられ故郷を去ることになる。
1919年(大正8年)従兄弟の藤村忠と結婚。
1922年 作家活動を始めて東京の中央公論を訪れた際に尾崎士郎さんに一目惚れして、同棲。
翌1923年 藤村忠と協議離婚が成立、尾崎士郎と正式に結婚する。ペンネームは藤村から宇野千代へ。
1930年(昭和5年)尾崎士郎と正式に離婚、東郷青児との同棲を始め、4年後には離婚する。
1939年(昭和14年)新聞記者だった北原武夫さんの取材を受けた際一目ぼれをして結婚するが1964年(昭和39年)には離婚することになった。
この結婚期間が一番長く25年間でした。
1971年(昭和46年)千代74歳薄墨の桜で根尾村を訪れる。
1975年(昭和50年)「薄墨の桜」が新潮より刊行される。

生涯で四度の結婚と離婚をした宇野千代さんですが、なんと最初の結婚は14歳の時でした。
父が決めた結婚で継母の姉の息子さんの藤村亮一さんでしたが10日ほどで実家に戻ってしまい結婚は破談となった。

今日は何の日6月10日薄桜忌に偲ぶ宇野千代と薄墨の桜まとめ

6月10日薄桜忌は宇野千代さんがその天寿を全うされた日だという事を知りました。

日本を代表する女流作家ですがその他にも、実業家でもあり、編集者、着物デザイナーなどいろいろな顔を持っていた宇野千代さん。
その生涯はまるでドラマさながらの波乱万丈なものでそれらが彼女の作品にも絶妙に織り込まれ更に味わい深いものにしていったんですね。

余談ですが、「白桜忌」というのもあります。
読みからは同じですが、こちらは与謝野晶子さんの命日の5月29日です。

6月10日他には

時の記念日

商工会の日

路面電車の日

ミルクキャラメルの日

歩行者天国の日

緑豆の日

夢の日

ローストビーフの日

などがあります。

毎月10日には

糖化の日

パンケーキの日

アメリカンフライドポテトの日

コッペパンの日

などもあります。

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