チェッカーズと言えば一世を風靡したロックグループで独特のファッションと楽曲で見るもの聞くものを魅了していました。
そのボーカルだった藤井フミヤさんが還暦を迎えるということはわたしにはささやかな衝撃でした。
当時、夢中になっていた私も同じように年をとってしまったんだなあと。
でも、時折テレビなどで見かける藤井フミヤさんは少しも色あせておらず、わたしの脳裏にあるあの頃大好きだったチェッカーズが当時のまま今もいます。
ファンとしては藤井フミヤさんが還暦を迎え、折しも昭和歌謡がスポットを浴びて密かなブームとなっているこの時期にチェッカーズ再結成を期待しないではいられません。
藤井フミヤとチェッカーズ
藤井フミヤさんは1962年7月11日生まれ血液型A型で福岡県久留米市出身です。
高校時代はなかなかヤンチャだったようで入学から3日目に停学処分を受けるなど荒れていたようです。
高校を卒業して就職をした頃には、高校時代から続けていたバンド活動は解散を考えていたようです。
ところが、1980年に武内亨さん(1962年7月21日生)とともにチェッカーズを結成して、
翌1981年にはヤマハ・ライトミュージックコンテストジュニア部門では最優秀賞を受賞しました。
すぐにデビューの話も合ったようですが、高校生だったメンバーの卒業を待ってからと2年間はヤマハの寮で生活をしていました。
そして1983年「ギザギザハートの子守唄で」でデビューしましたが、ブレイクしたのは翌1984年にリリースした「涙のリクエスト」からでした。
この曲の大ヒットによって全国区となり、前年リリースした「ギザギザハートの子守唄」や3rdシングルの「哀しくてジェラシー」とともに3曲同時ベストテン入りなどという快挙を遂げたのでした。
出す曲出す曲大ヒットをしていたのですが、メンバーのソロ活動が増えるにしたがって亀裂が生じていきました。
そして1992年紅白歌合戦を最後におしまれつつも解散となったのでした。
その後は、藤井フミヤさんをはじめほとんどのメンバーがソロ活動をすることになりました。
解散の理由と確執
解散の理由は、表向きは音楽性の違いだったりメンバーそれぞれの個性を伸ばしていこうという事でしたが実際はどうだったのでしょうか?
後年、高杢さんが出版した本によると藤井フミヤさんと高杢さんの確執が一番の原因だったようですね。
そして藤井フミヤさんが一方的に解散を決めてしまったことでより深くなっていったようです。
更にはこの本は暴露本のように金銭問題なども著されていることが藤井フミヤさんの逆鱗に触れてしまったようです。
そしてメンバーのひとりだった徳永さんが亡くなりそのお別れ会でも高杢さんと鶴久さんが外されたことによって一層、溝が深くなっていったのでした。
チェッカーズ再結成は?
近頃では、藤井フミヤさんは長年封印してきたチェッカーズ時代のヒット曲をテレビで歌ったりSNSに投稿したことで、再結成説が急浮上してきました。
更には親交を絶っていた芹沢廣明氏にも自ら連絡をしたと言います。
芹沢廣明氏は音楽プロデューサーでチェッカーズの初期の大ヒット曲を手掛けたことでも知られています。
いわばチェッカーズの生みの親ともいえる人でしたが30年以上もの間絶縁状態が続いていました。
しかしフミヤさんの心境の変化なのか地震から連絡を取るなど少しでも溶けて行ってるのではないかと思いたいです。
そしてその先には奇跡の再結成が見られることを祈らざるを得ないです。
もちろんクロベエこと徳永善也さんのいない今ではオリジナルメンバーがそろうことは不可能ではあるけれどももう一度あの姿を見てみたいとファンの一人として願ってやまないのは私だけではないでしょう。